
嘘です。
槍でなしに、近所のパン屋の旗用の棒。この棒に私の書いたパン屋の絵が吊るされております。浅草のアトリエは、このパン屋の元倉庫。そのパン屋の社長よりこの棒の先端をメッキ加工したいとご相談を受けた。

なんとも趣のある矛先で、いや棒先で、経年変化したそれは、人間様には到底できそうにない、なんとも美しい緑青(ロクショウ)が静かにその存在を知らしめておるのでした。ちなみに槍の、というか棒の柄の部分は物干しざおを加工したもので、なんとも長文になりそうな予感がしているのですが、そのもはや棒というか槍の先端にまつわる話。
真鍮でできているそれは、磨けば元に戻り、むしろ前よりも光沢を増す。もちろん相談してきた社長も知っている。
当然僕は、メッキなんてもったいないと言う。メッキは安っぽいうえに、高い。
磨いて差し上げます、と申し伝えた。僕と社長は、とても仲が良いので、メッキは後にして、とりあえず磨いてから判断しましょうということに相成った。
僕の記憶が正しければ、「無造作ヘアー」が流行した中学2年位から、この朽ちたもの、色あせたものへ目が向き始めた気がする。それは世の中の流行、動向がどうこうじゃなしに、あくまで僕の視点ではあります。
思春期時代にヘアスプレーで髪の毛をツンツンにして鏡を見た時、即「違う」と思ったあの洗面所での恥ずかしさを今でも鮮明に覚えていて、新たに「無造作ヘアー」を作りだせるワックスを、ヘアセット材の中から当時奮発して買った。
寝癖のように髪をぐちゃぐちゃにしてたら、「おしゃれな人」で通った。友人間でビジュアル系が大流行した時代に僕はこの「無造作ヘアー」で色違いの靴を履いて、誰とつるむこともなく、釣り道具ばっか作って釣りばかりしていた。
そう、暗黒時代の幕開けである。
1年ほど前から真鍮を加工するようになった。違う目的で使用する人も出てきて廃番になってしまった、燻す(いぶす)溶剤も、なぜか、変わり者の田舎の祖母が所有していた。
朽ちた表情、時間が経過したような、つまりアンティーク加工ができる。(今は専用の燻し液は普通に出回っている)
古いものは美しい。美しいに決まってる。時間という要素を含んでいるが故、錆びも、緑青も愛おしい。革もそう。「使い込んだ感」が、「良い」。
人為的にそれを出すと、きっと作り手はこのいたたまれない気持ちに悩む。と思うんです。
「時間」には、勝てない。
作り手の引きだしとして入れておけばそれはそれで良いのですが、僕の扱う素材がそうさせてくれないので、しばらく考えておりました。「時間」が「表情」に替わってくれればなと。燻しもするし、溶剤にもつける。それは誰かもやっている。パクリ?否、ジャンルでしょうか。
そうやって細分化されてる小さいくくりに、少々悩んでいました。
メッキしてくれとおっしゃる社長。それを引きとめる私。苦肉の策の表面バフ仕上げ。
本日決行した。「時間」という要素を、きれいさっぱり取り除く作業。
この作業、5秒で終わると思っていた。設備、道具はたんまりある。
舐めていた。
「時間」には、勝てない。
1時間ほどかけて研磨完了。
「酸いも甘いも、こうして大人になってゆくんだよなぁ」と、光りはじめた矛先に話しかける。
まるで漫画「うしおととら」の主人公「潮」のように。(本編参照)
脳内音楽は二ールヤングの「Heart of Gold」。「Stay Gold」ではない。それはメッキ後だ。
なんとも美しい「金色」が当然のごとく飛びだした。まるで産まれたばかりの赤子を抱くかのように僕はその矛先、じゃなくて、棒先に触れた。熱い。霧吹きで水をかけると、水蒸気が出た。これがもし本物の槍だったとしたら
…これこそまさに「ヒートジャベリン」じゃないか。
ということを踏まえた上で僕はこれから心おきなく燻し加工をしてゆきます。この文章はこれから作るものに対してのいわば布石に近い。いや、そんな人聞きの悪い事ではなく、こうやって曲がり曲がって素材と真っ向から対峙していきたいという僕の気持ちです。
最近、革では色落ちするという難点でうとまれていた「色落ちしない紺色」をひょんなことから作りだすことに成功した(しかけている)んです。3年位前からこの色の革への思いは在りまして、革屋さんに相談すると、あるけど、この色は色落ちするとのこと。なので使える部材も箇所も限られており、あきらめていました。
またこれもパン屋無くして色落ちしない紺色の革無し的な製法で、あのアトリエでないとこの色は作れませんでした。使い込むことで深い色に変化してゆくといういわば「逆燻し」的な事になるのではと空想しています。
っていう棒の話。